一ノ谷の合戦①
「馬も四足、鹿も四足、違うといえば尾の長さとひづめの形のみ、恐れるな!!」(By源義経)
かつて読んだ歴史小説『義経』(司馬遼太郎著)を読み返してみる。とはいっても、全編読むことはあまりない。いつも読むのは「一ノ谷の合戦」の部分である。何故なら、日本史上、いや世界史上類を見ない奇襲戦だからである。戦好き、というわけでもないが(笑)、何故か血が騒ぐ。
あらすじを簡単にまとめると―平安時代末期の源平合戦の最中。平家を京都から追い出した源氏方は、源頼朝の弟範頼(総大将)、義経(副将)のもと追討の軍議をしていた。平家は3万の兵力で福原、一ノ谷(現・兵庫県)に陣を取っている。対する源氏は3000~5000の兵力。数で言えば圧倒的に劣る。しかも、戦場となる場所は、北は切り立った山々、南は瀬戸内海、そして源氏が攻め入る東は生田ノ森という狭い場所。平家側からすれば北は天然の城壁で、東は攻め口の狭い門、南はいざというときに撤退できる逃げ道という地形で、源氏からすれば絶対的なアウェー戦だった。
そこで、義経はどういう策を提案したか。本体の他に少数精鋭の騎兵部隊を編成し、北の山間地帯を大きく迂回して背後から平家を攻撃する策を打ち出したのだ。
―と、簡単に書いてみたが当時としては異例の作戦だった。まず、この時代の合戦は個々人の武勇や手柄が重んじられていて、“戦術”というものがなかった。さらには、兵数=兵力と考えられ、その“数”が多い方が勝つと認知されていた。当然、源氏軍の幹部たちには異を唱える者もいたが決行することに。
本軍は範頼が率いて東から攻め入る基本的な攻撃。義経は別働騎兵隊を率いて山間を駆け抜け、裏手から攻め入る奇襲攻撃。人数の割り振りは別働隊が300騎、それ以外は本体というアンバランスな編成で決まった。(続く)
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